これからの住まいについて その1
9/20に岡山都市研究楽団で扱うテーマ「住宅におけるLDK」について僕が書きまして、
今度はメンバーのstudio junaから1発目のアンサーがきました。
僕の問題提起の前に、重名くんは「LDKとは」に引っかかったみたいで、その歴史を掘り下げてくれてます。
そんなに難しい話ではないので、ぜひ読んでみてください。
みやけ
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今回、岡山都市研究楽団で扱うテーマは、「住宅におけるLDK」についてです。
タルト不動産からこのような問題提起がありました。
不動産やハウスメーカーの広告やサイトを見てみると
面積とは別に、2LDKとか4LDKなどのnLDKの表記がされていて、数字の部分のnが大きい方が
広い家だという認識があるかと思います。
住まいを考えるとき、「nLDKの家が欲しい」と考えることが一般的だと思いますが
僕自身は住まいをデザインするときは、「nLDKの家を考えよう」とは思いません。
nLDKの空間にその人の生活を閉じ込めるのではなく
その人の生活からその人らしい空間を考えたいと思っているからです。
(結果としてnLDKと捉えることはできますが)
LDKが一階か二階かという前に
「nLDK」という一般的な考え方が
僕にとってはちっとも一般的ではないので
そもそもnLDKとは何ぞやということをちょっと調べてみようと思います。
長いので読まなくてもいいですけど、知っておいて損はないかと。
(だいぶ省略して書くので、抜けているところや解釈のずれがあると思いますが
気になることがあればご自分でディグってください。)
もともと、日本の民家というのは畳の部屋が襖や障子で仕切られていて
ちゃぶ台を置けば食事室になるし、布団を敷けば寝室になる、
建具をあければ隣の部屋とつながって大きな部屋になる、
フレキシブルな空間の使い方が特徴だと思われていました。
しかし、実際は寝る部屋と食事の部屋を分けて使用しているという実態を住み方調査から明らかにした
西山卯三という人が「食寝分離」という考え方を提唱しました。まだ戦時中のことです。
食事の場と寝る場所の分離は、小住宅における基本的な要求であると主張した西山卯三の食寝分離論は
戦後の住宅計画に大きな影響を与えました。
戦後の住宅不足を解消するために、大規模な公営住宅の建設が各地で行われましたが
1951年、「51C」と呼ばれるひとつの平面計画が生まれました。原案を設計したのは東京大学吉武研究室です。
「51C」とは、今見るといわゆる2DKの平面計画なのですが
このDK、つまり、食事のできる台所の誕生が画期的でした。
35㎡という限られた空間の中でそれが計画されたというのも重要です。
「51C」の設計理念は、1955年に設立された日本住宅公団にも引き継がれ、日本の公共住宅の原型となりました。
「51C」では、食事のできる台所とその隣の部屋とは襖でゆるく仕切られていたのですが
戦後の復興により、生活が豊かになると、ソファやピアノ、ステレオなどの家具が増え
今で言うリビングのような空間が自然発生的に生まれました。LDKの誕生です。
ここまでは設計者の想定の範囲内だったようです。
高度経済成長期になると、公共だけでなく、民間も住宅供給に参入してきました。
民間の建売住宅や分譲マンションは、部屋数が多い方が売れる傾向にあったようで
「51C」のプランに個室を安易に付け足しただけのnLDKの住宅が大量につくられるようになりました。
それが現在まで、生活様式や家族のかたちが変化し続けているにも関わらず、
多数派であるハウスメーカーやデベロッパーによってnLDKの住宅が作り続けられてきたことによって
nLDKの考え方が一般的になってしまったというわけです。
建築の歴史の中でも、「51C」はnLDKの原型だと言われることも多いですが、これは間違った認識だったようです。
戦後の焼野原を見ながら、35㎡という限られた空間の中でいかに快適な住空間をつくるかという問題に対して考えられたものと
好景気の日本において売れるからという理由で「51C」に安易に個室を足して考えられたものとを同じだとは僕は思いません。
当時、吉武研究室の大学院生で「51C」の設計に関わった故 鈴木成文氏も
『3室、50㎡になったなら、それに対応した生活の組立てを考えるべき』と述べていました。
と、いうことで、タルト不動産の問題提起を完全に無視して
いわゆるnLDKとはどうやってこの国で生まれてきたのかを
僕自身が勉強したところで、今回は終わりにします。
次回からは話を戻して、これからの住まいにおけるLDKについて考えていこうかと思います。
(参考:「51C」家族を容れるハコの戦後と現在 平凡社)
written by studio juna