続・Y字路と電柱についての考察
先日の「電柱のこと②」の続きです。
studio junaの重名くんが、僕の投げかけに答えてくれたので紹介します。
電柱って言われても興味ない人が多いと思うけれど、僕は重名君と話していてすごく楽しかったし、たまには街のこと暮らしのことを考えてみてもいいんじゃないかと。。
2回に分けてくれるみたいので、ぜひ読んでみてください。
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まずはこちらをご覧ください。
と、いうことで、「電柱のあるY字路における暮らしの可能性について」をテーマに
ちょいとばかり僕なりに考えてみました。
この敷地で最も気になるのは、やはりY字路の交点に立つ電柱です。
電柱は道路に立っているのが普通と思いこんでいたので
こういう立ち方もあるんだなと思うと同時に、この李禹煥の作品のような堂々とした立ち方が気に入りました。
電柱や電線が街の景観を乱しているという意見もあるようですが
京都のような歴史的な街並みが残っている地域ならまだしも
ほとんどの市街地では電柱がなくてもすでに景観は乱れているので、
景観の乱れを電柱や電線だけのせいにするのは
ちょっとかわいそうだなというのが私感です。
道路に立っていることで邪魔者扱いされることが多い電柱ですが
敷地の中に立っていることで、これは自分の電柱なのだという愛着(錯覚?)すら湧いてきそうです。
(電柱はあくまでも電力会社やNTTのものですので私物化しないようにご注意を。)
横尾忠則の作品のような視点に立てば(以下、横尾ビュー)
Y字路の敷地にたつ建物からは、ある種のシンボル性というか、キャラクター性を感じることができます。
一本の電柱でさえシンボリックに見えてきます。(おそるべし横尾ビュー!)
横尾ビューにおける新しい建物の見え方、つまりは建物のたち方、街とのかかわり方はないものかと
次のようなものを考えてみました。
詳しい説明は次回にしますので、
それまで平面図を見ながらここでの暮らしを想像してみてください。
written by studio juna